2013年 松谷光徳寺開基 俊円僧都縁起(その一 霊夢) 第24回春秋画壇展

同 その二 (杣人出現)

同 その三 (法水永遠)

大阪 河内の信貴山の南西下にある照曜山 光徳寺の開基 俊円僧都の縁起を絵にしました。

縁起は上下二巻あり、内容も格式の高い立派なものですが、私流に絵になる場景を選びました。

絵の随所随所に出てくるバックの光景は、私が子供の頃に遊んだ懐かしい場所ばかりです。小さな石ころまでが思い起こされます。

[その一 霊夢]は、三井寺の僧であった俊円僧都が信貴山に逗留し、毘沙門天の「西方にある廃寺と有縁の仏像を再興せよ」との不思議の霊夢を見るの絵であります。

僧都の強い意志と情熱が、私の腕ではまだまだ表せないと恥じ入った次第です。20年早いと言われそうです。

[その二 杣人出現]は、途中で杣人(きこり)が現れ、僧都を案内します。絵伝には杣人は毘沙門天の化身であることを表していますが、私は省略しました。この辺りの山は本当に私の故郷です。

その後、僧都は灰塵と化した中に一宇の御堂と無量寿仏、観音、地蔵の三尊を発見して早速京都に帰り、仏閣再興せよとの後堀川院の勅許を得て再建します。

[その三 法水永遠]は、私の創作です。

僧都はその後、親鸞上人の弟子となり真宗念仏の門に入り、健治2(1276年)に没しますが、そのところの記述に「門葉国郡ニミチ、法水ナガクツタハリ、濁世迷情ノ枯渇ヲ潤ス」とあります。

私はこの記述より、この山村"雁多尾畑(かりんどうばた)"が、いよいよ仏恩を頂き、物心ともに末永く繁栄するよう、僧都が三尊にお念仏を唱え合掌しておられる姿を描きたかったのです。

もとよりこの時代に葡萄は無かったでしょうが、土地の重要な産物なので入れました。

出来上がりを急ぎ、葡萄の棚、山間の村、寺の上に続く山・・・・いずれもお粗末な仕上がりとなり悔やまれます。私の教訓"竹影 階を掃って塵動ぜず。月 潭底を穿って水に痕なし"を肝に銘じております。

 

[その三]の絵の中の讃(墨書)の終わりに「小田岳堂浄書」として落款がありますが、実は「この絵伝を描き、光徳寺に奉納したい」旨を春秋画壇の会長である小田岳堂先生にお伝えすると「私が書を書きましょう」と仰ってくださり、願ってもないこととお願いして実現したものです。有難くお礼申し上げます。

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コメント: 2
  • #1

    植前 (木曜日, 05 9月 2013 21:46)

    一筋のホームページ  いいものですね。
    これまで拝見した巻もありますが、あらためて文と共にゆっくり探勝させてもらいました。
    とはいえ、絵には全くの門外漢、云々の素養など豪もありませんが、私観のみで申し上げれば、「その二 杣人出現」が最も響きます。やはり貴兄の絵ではない心の絵が表れているのでしょう。更には、お世話になったお母上への思い出も重なりましょう。ふるさとを失ったものには有難くも辛い絵でもありました。

  • #2

    松谷昌孝 (金曜日, 06 9月 2013 13:45)

    早速見て頂いて、コメント有難うございました。
    杣人出現が気に入ってもらったようで、うれしいですね。
    母の思い出やふるさとのことなど、貴兄ならではの感想が懐かしく感じられます。
    次はだいぶん先となりますが、またよろしくお願いします。