1.春秋画壇展 出展 水墨(彩)画

2013年

9月

03日

2013年 野 宮 第24回春秋画壇展

謡曲「野宮は、秋の花の気高く淋しく可憐なイメージを源氏物語の六条御息所に重ね合わせて作られた禅竹作と考えられている名曲であります。(三宅晶子「世阿弥は天才である」より取材)

私は後場で一声の囃子のあと「野の宮の。秋の千草の花車。我も昔に廻り来にけり」と謡って御息所が登場する場景を、このように想像して描きました。(能では緋大口の姿ですが、お叱りは覚悟のうえで絵になりにくいので勝手に変更しました)

あらすじは、「旅の僧が京都嵯峨野の野宮を訪れると、どこからともなく美しい里女が現れ、六条御息所の物語をして姿を消します。その夜 僧が読経していると御息所の霊が現れ、光源氏の愛を失った後の淋しい心境を語り、そして昔を偲んで舞を舞う」というものです。

曲の中では、御息所が恥をかかされた賀茂の祭りの車争いの激しい情況・執念も主要な要素ですので、妄執の因として杉木立の中に牛車の角突き合せた争いを描きましたが、もう少し描きようがあったのではと力不足を嘆いております。

 

なお、春秋画壇展はこの第24回展をもって幕を閉じました。残念なことです。

 

 

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2013年

9月

01日

2013年 松谷光徳寺開基 俊円僧都縁起(その一 霊夢) 第24回春秋画壇展

同 その二 (杣人出現)

同 その三 (法水永遠)

大阪 河内の信貴山の南西下にある照曜山 光徳寺の開基 俊円僧都の縁起を絵にしました。

縁起は上下二巻あり、内容も格式の高い立派なものですが、私流に絵になる場景を選びました。

絵の随所随所に出てくるバックの光景は、私が子供の頃に遊んだ懐かしい場所ばかりです。小さな石ころまでが思い起こされます。

[その一 霊夢]は、三井寺の僧であった俊円僧都が信貴山に逗留し、毘沙門天の「西方にある廃寺と有縁の仏像を再興せよ」との不思議の霊夢を見るの絵であります。

僧都の強い意志と情熱が、私の腕ではまだまだ表せないと恥じ入った次第です。20年早いと言われそうです。

[その二 杣人出現]は、途中で杣人(きこり)が現れ、僧都を案内します。絵伝には杣人は毘沙門天の化身であることを表していますが、私は省略しました。この辺りの山は本当に私の故郷です。

その後、僧都は灰塵と化した中に一宇の御堂と無量寿仏、観音、地蔵の三尊を発見して早速京都に帰り、仏閣再興せよとの後堀川院の勅許を得て再建します。

[その三 法水永遠]は、私の創作です。

僧都はその後、親鸞上人の弟子となり真宗念仏の門に入り、健治2(1276年)に没しますが、そのところの記述に「門葉国郡ニミチ、法水ナガクツタハリ、濁世迷情ノ枯渇ヲ潤ス」とあります。

私はこの記述より、この山村"雁多尾畑(かりんどうばた)"が、いよいよ仏恩を頂き、物心ともに末永く繁栄するよう、僧都が三尊にお念仏を唱え合掌しておられる姿を描きたかったのです。

もとよりこの時代に葡萄は無かったでしょうが、土地の重要な産物なので入れました。

出来上がりを急ぎ、葡萄の棚、山間の村、寺の上に続く山・・・・いずれもお粗末な仕上がりとなり悔やまれます。私の教訓"竹影 階を掃って塵動ぜず。月 潭底を穿って水に痕なし"を肝に銘じております。

 

[その三]の絵の中の讃(墨書)の終わりに「小田岳堂浄書」として落款がありますが、実は「この絵伝を描き、光徳寺に奉納したい」旨を春秋画壇の会長である小田岳堂先生にお伝えすると「私が書を書きましょう」と仰ってくださり、願ってもないこととお願いして実現したものです。有難くお礼申し上げます。

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2013年

9月

01日

2012年 杜 若 第24回春秋画壇展

謡曲「杜若」は伊勢物語に拠ったもので、杜若の精が在原業平の冠と唐衣をつけて旅の僧の前に現れ、舞を舞って朝紫の中に消え失せるという、華やかで美しい曲であります。

私は最後のノリ地「袖白妙の卯の花の雪の。夜も白々と。明くる東雲の朝紫の。杜若の。花も悟りの。心開けて。すはや今こそ。(中略)失せにけれ。」

の場景を絵にしました。

腰の剣の柄が偶然にも、うまくいったなと思います。

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2013年

9月

01日

2011年 難 波 第21回春秋画壇展

謡曲「難波」は、「難波津に咲くやこの花冬籠り、今を春べと咲くやこの花」の古今集の序の注にある歌を主題とし、仁徳帝の仁政を讃えたお目出度い謡であります。その勢い 盛んに描きました。

背景の宮殿と官人は、古代難波の宮跡に建つ大阪歴史博物館の展示物を参考にさせてもらいました。また神社の屋根は住吉大社を写生しました。

肝心の梅は良いモデルがなく、咲くやこの花を華やかに創作しました。

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2013年

9月

01日

2010年 経 正 第20回春秋画壇展

「燈火を背けては。燈火を背けては。共に憐れむ深夜の月をも。手にとるや帝釈修羅の。戦いは火を散らして。シンニの猛火は雨となって。(中略)身を焼く苦患。恥ずかしや。(中略)あの燈火を消さんとて。その身は愚人。夏の虫の。火を消さんと飛び入りて。嵐と共に。燈火を吹き消して暗まぎれより。魄霊の影は失せにけり。」

謡曲「経正」(つねまさ)の終わりのところです。京都仁和寺の山門をバックに描きました。

琵琶の名手であった平家の公達 経正の霊は仁和寺に現れます。

子供のころ読んだ手塚治虫のマンガ「罪と罰」に、ラスコールニコフが金貸しの婆さんを殺害せんとするとき、蛾がランプの燈火に飛び込むのを目の当たりにする場面があったのを思い出し、そのイメージで描きました。

今見ると、もう少し陰影のボカシが上手に描けてたらなと思います。

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2013年

9月

01日

2009年 天部影向 第20回春秋画壇展

初めて春秋画壇展に公募で出展しました。憧れの天王寺美術館でした。この絵は個々の謡曲とは直接関係はありませんが、謡曲の世界では仏や神が影向(ようごうー現世に現れること)し、人間を助けます。

この絵に込める私の思いは、「払っても払っても湧き起こる私の邪悪な心をどうぞ天部よ!追い払って確かな心を保たせてください」というもので、宇宙の奥底の化体な星雲をバックにしました。

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2.京都墨彩画壇展

2014年5月 第16回 京都墨彩画壇展 「葦  刈」

先輩先生のご推薦により会員として当画壇展に初めて出展させて頂いた。

謡曲「葦刈」を題材とした.

~足引きの山こそ霞め難波江に~~心も澄める面白さよ~ 。    画の場面は、貧困のため妻と別れた日下の左衛門は、難波津の景観を愛し、難波江の朝ぼらけに我を忘れ浮かれ狂うほどの呑気さを見せる美的耽溺者であるが、また一方 別れた妻の出世に比べ、葦をうって身上をつなぐ自分の境遇を嘆く。このシテの出を描いたものである。

今や大阪湾には葦など生えていないので、琵琶湖湖西・高島町の葦の群生地を取材した。

2013年

9月

01日

2012年 10月

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2012年 12月

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